グランド・ジェネレーション看護師の活躍
今や現役看護職員の 9 人に1人は 60 歳以上
「看護職にとっても、長くなった人生、特に、職業人生を通じて、自らのキャリアをどのように開発し、展開していくかが、改めて問われています。
プラチナナースは看護界にとって心強い存在であり、社会にとって大切な財産です。「働くこと」の意味合いについては、定年を境に「生計の維持」の比重がやや小さく、「やりがい」や「社会貢献」の比重がやや大きくなると感じる人も少なくありません。
より自由に、柔軟に「働くこと」を選択できるプラチナナースは、自らの可能性を広げていくことができる、と考えることもできます。
※「プラチナナース活躍促進サポートブック」より引用
2022年3月25日 第1版第1刷発行発 行 公益社団法人 日本看護協会
医聖会「グランド・ジェネレーション」活躍
「100 年ライフ」の時代は、地域に生活する人が高齢化を迎える中、それに寄り添っていくためには、同世代のキャリアも求められています。自ずと多様で変化のある働き方や生き方が進む社会になり、めざす目標は、「多様に働き、多様に生きる」です。
人生100年時代にむけて「グランド・ジェネレーション」が自分のキャリアを生かして、意欲的にチャレンジできる&職場の活性化を図る!
医聖会における60歳以上看護師の働き方
働き方タイプ別 自身の働き方について
グランド・ジェネレーションは、「若々しく年を重ね、豊かな知識と経験を持ちながら人生を楽しんでいる世代」とされています。
医聖会では、60歳以上の方16名が、「看護管理者」 「看護業務実践者」「人材育成」などに力を発揮しています。そこで、「働き方のタイプ」別に自身の働き方について語っていただきました。
バリバリ活躍型
ざっくりした経歴
初めての就職先は一般の会社務めでその後、4年間自衛隊を経験20代半ばで看護師になり、主任として手術室を任され医師に信頼され、アットホームな職場環境の中で、40数年程勤めてきました。
若いころに考えていた将来像と現在
看護経験の浅い頃は、一般病院での仕事は、高齢の男性看護師には務まらないと考え40歳頃、精神科病院に転職し、定年後は妻と旅行しようと考えていたが、50代半ばで妻を病気で亡くし日常の寂しさを紛らわすため仕事に打ち込み現在に至っています。
今後の働き方
日々変化(発展)する医療界に於いて自分の成長に繋がり、病気で病んでいる人のお手伝いが出来ることに誇りを持てたので、心身の許す限りこの仕事を続けたいと考えています。
ざっくりした経歴
28歳の時、管理職となり、30+α年間を管理職として勤務しています。
若いころに考えていた将来像と現在
私の若いころは、定年まで勤務を継続し、退職後趣味を楽しむ生活が主流でした。 将来設計として、26歳で日舞の名取となりましたが、管理の道を歩み趣味より仕事の継続を選択して、現在進行形です。
今後の働き方
体力と精神力が続く限り、仕事と子供との時間を楽しむため、健康維持に努めています。
ざっくりした経歴
21歳で看護学校卒業後、3回の出産で休職した以外ずっと看護職として多様な規模の施設で勤務してきました。
若いころに考えていた将来像と現在
自分にしか出来ない看護がしたかったけれど、そうすると患者が困ることが分かりました。 また、新しいことに挑戦したくても組織が動かないことがわかり、だったら管理者になって指導や運営をしようと思い管理者になりました。
今後の働き方
定年退職を考えていましたが、まだまだ出来そうなので頑張れるまで後輩の育成に力を入れていきたいと思います。
無理なく活躍型
ざっくりした経歴
40年程前に透析の機械のメンテナンスをしてくれないか、ということで東京から京都の病院に務めたのがきっかけです。その頃は、臨床工学技師という資格がなかったため、将来を考えて何か資格を取りなさい、とアドバイスされ、看護師となりました。勤務地も京都~金沢~七尾~能登~京都と転々とし、透析室・手術室・ICU・各科病棟を看護管理者として30年働いてきました。
若いころに考えていた将来像と現在
様々な看護を介して、患者さんや看護師と接する中から、たくさんのことを学ぶことができました。その経験から、「病気で困った人がいたら何とかしてあげたい」という気持ちを持つことが看護師として、一番大切だと思います。
今後の働き方
あと、何年働けるかはわかりませんが、管理者として、後輩に看護本来の気持ちを忘れずに働く(少しでも傍にいる人を楽にする)、ことを教えていきたいと思います。
ざっくりした経歴
横浜で生まれ育ち、横浜で看護師になり50年が経過しました。結婚して住んだ京都でも37歳で就いた現在のこの職場でも、働き続けています。長く働き続けられたのは、何より家族の協力なしではできなかったと思います。特に義母や義姉には感謝しています。
若いころに考えていた将来像と現在
何時、主任になり何時から師長だったのか正確には覚えていませんが、沢山の研修に行かせて頂き65歳まで病棟師長として働きました。それ以後外来の健診センターを任され、健康な方々に接し、また新たな気持ちで働いています。
今後の働き方
年齢には勝てませんが若い職員に刺激をもらいながら、健康に気を付けてやれるところまで働きたいと思います。また、娘にも認知症予防のためにも働くように言われています。
入職年数や働き方に多様性があります。しかし、一人ひとりが
「患者・家族にとって」
「職員同士にとって」
「地域にとって」
重要な役割を担って医聖会で活躍しています
あなたも一緒に医聖会で、活躍してみませんか!